入試の悪問が大学力を低下させる

悪問は何のためにあるのか?

特に私大で、誰にも解けない入試問題が、時に出されることがあります。受験生だけでなく、よほどの専門家しか解けない問題。誰にも解けないことを承知で出題しているのでしょう。受験指導では「これは悪問だね。解けなくてもいいから」という一言ですませます。サラリと流した方がよく、つまらぬ問題にいちいちつきあうことは時間の無駄。

けれど、そもそもなぜ、そんな悪問が出題されているのでしょうか? しかも数十年も前から、あいもかわらず?

国公立大では、高校課程を修了した人への入試問題ということで、どんな難関校でも悪問を出さないように心がけているようです。本当に理解できたなら満点近く取れる、ということ。私が担当する英語でも、国公立英語は、実は教えやすい。読解、和訳、説明、英作文のどれでも、手順を踏んで答えを出せるからです。なぜ答えがそうなのかの説明もしやすい。

けれど私大では無茶な問題が出て、受験生を戸惑わせ、辟易させます。たとえば上智の外国語。数年前、英語入試で詩が出ました。普段、使われない言葉ばかりで構成された詩。そんな詩を読みこなす訓練をしている受験生などいません。これで英語力が測れるはずがなく、差もつきません。受験生は「どれにしようかな」式に答えを出します。

悪問出題の理由は大学のプライド

ではなぜ実力判定に使えない問題を、上智はあえて出したのでしょうか? ごく少数の、そんな詩を読みこなせる受験生を発掘するため?

そこには大学のプライドが関わっていると思われます。うちは入試問題で詩を出せるほどの大学です、というプライド。正解を出せる受験生が一人もいなくても関係ない。実際、そんな入試問題を見て、ビビる受験生は多いでしょう。こんな問題も解かなきゃいけないんだ、自分にはとても手が回らない、というふうに。

上智を例に挙げましたが、他に悪問が目立つのは早大、あるいは明大。読解問題で「生きるとは何か」についての延々としたモノローグ。それについての設問。日本語訳を聞いても受験生は何のことかさっぱり分からず、途方にくれるでしょう。

大学によって違いもあり、首都圏では中大、青学あたりでは悪問は少なく、通常の英文が出され、理解できれば正解が出せるようになっています。

悪問は大学力を低下させる

悪問では、まともな選抜はできません。無意味なプライドによりかかり、悪問を出し続ければ、その大学はいつか受験生から見放されるでしょう。早大、上智の自己満足は、ゆくゆくは大学力を落としていくと私は見ています。

受験生としても、過去問を解く時、いったい自分が解いている問題が自分を評価するにふさわしい形式、レベルかを冷静に見つめるべきでしょう。自分で判断できないなら、信頼できる指導者に聞いてみるべきです。出題が悪問ばかりなら、そんな大学を見限ることも視野に入れましょう。受験生は教育サービスの消費者。賢い消費者たるべきです。

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