アクティブラーニングは可能なのか?

高校でアクティブラーニング

アクティブラーニングは「主体的な学習」くらいの意味で、文科省が先月、高校全科目で導入と発表しました。今後、教科書がこのラインに沿って作られ、教育方法も変えていくとか。

けれど日本人、この「アクティブ」に慣れていない。人前で自分の意見を述べるプレゼン、互いの意見をぶつけあうディベート、こんな作業が全然ダメ。読者のみなさんも学校時代を振り返り、そんな経験あったかと自問すれば、ほとんどなかったでしょう。

これまで日本の教育現場は、教員から生徒への一方通行。教壇で教員が話すだけ、生徒はひたすら書き写す。授業中の質問は憚られ、まして自分の意見を発表し、ぶつけあうなんてありません。

ただし一歩、日本を出れば、そんな受動的教育は通用しません。欧米教育機関に行けば、どこもプレゼン、ディベート。生き生きした情報授受。討論を始める前には思いもよらなかった結論。そして、その結論が次の土台となり、再び発表と討論。

この作業に慣れていない日本人は、留学しても黙ったまま。語学スキルは学んでも、学習スピリット、あるいはメンタリティなど学びません。だから日本のリーダーで海外で喋れる人など、ほんの一握り。日本は技術力、経済力は一流でも、政治力は皆無。その原因がメンタリティにあり、それを教育で変えようというのが、今回の文科省の計画。

メンタリティ変更は難しい

技術力、経済力ですら徐々に遅れをとり、日本はこのままでは必要なものを自国で揃えられない途上国へ転落する、そんな議論も聞かれます。やはり政治力と経済力は両輪で、経済力だけ一流という状況は長続きしません。経済力には政治力が必要。そして政治力とはズバリ、発信力。

シャイであること、控えめであることは、日本人のメンタリティ。そう簡単に変えられません。変えるべきでないかもしれません。自分をひけらかさないこと、自慢しないことは、実は欧米人になかなか学べない美徳でもあります。島国に暮らす日本人には、その美徳が自然に備わっている、そう考えてもいいでしょう。

海外を旅すれば、日本人と比べ、現地人の言動が無礼で粗野に見えることでしょう。海外ではそれが当たり前なのですが、日本の生活に慣れていると、みなが喧嘩しているよう。家庭の内でも外でも。

プレゼンと無礼はコインの裏表。どちらか一方あれば、もう一つも不可避です。果たして日本人はプレゼン能力と引き換えに粗野まで身に付けるべきでしょうか?

プレゼンなしには海外で評価されない

日本人が島国の中で互いの目を気にしながら謙譲の美徳を培っている一方、海外では自らの意見を主張し、納得してもらい、実行していく者が評価されます。礼儀正しくても何も言えない者より、少しくらい変わってても説得力ある意見を述べる者に軍配が上がるわけです。その尺度では、日本人の美徳は全く評価されず、それどころか、ある種、軽蔑されます。話すことがないんだな、と見られるわけです。

日本の国際競争力は落ちる一方。一人当たりGDPもドンドン下がっています。そんな現状、さすがにまずいと危機感を抱いた文科省、美徳を犠牲にしても、プレゼン若者を増やそうと考えたようです。アクティブラーニング推進の背景にそんな目標が見え隠れ。

教育課程の変更で、はたしてプレゼン若者を増やすことができるでしょうか? 私は英語講師。英語を教えながら、受講生のプレゼン能力、ディベート能力を磨かなくてはなりません。たとえ、それが現在の大学入試で点数化されなくても。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事